罪を憎んで人を憎まずとは?その本当の意味や語源は?


(出典「イラストAC」)

罪を憎んで人を憎まずという言葉があります。

何らかの被害を受けた場合、つい人を憎みたくなるものですが、

それでも罪を憎んで人を憎まずということはできるでしょうか?

またその言葉にはどのような意味があるのでしょうか?

ここでは罪を憎んで人を憎まずの意味を考えたいと思います。

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「罪を憎んで人を憎まず」その語源は?

「罪を憎んで人を憎まず」という言葉は、

「孔叢子(くぞうし)」という書物に記載されている孔子の言葉とも伝えられていますし、

聖書にも同じような記載があると言われています。

(参考:故事ことわざ辞典 http://kotowaza-allguide.com/tu/tsumiwonikunde.html

犯した罪は憎むべきでも、罪を犯した本人までは憎むべきではないという教えになりますが、

なかなかできることではありませんし、だからこそ名言として伝えられてきたのだと思います。

ではそこにはどんな深い意味があるのでしょうか?

「罪を憎んで人を憎まず」その意味とは?

これは自動車の事故などを報道で見て、個人的に思うことになりますが、

中には悪意をもって意図的に起こす「事件」もありますが、

不慮の「事故」ということも多いですし、

例えば自動車であればブレーキとアクセルを踏み間違って起こす事故もあります。

そうした事故については、本人もわざと事故を起こそうとしたわけではないと思いますし、

こうした事故では、誰も悪意を抱(いだ)いているわけでもないのに、誰かが被害者や犠牲者になることがあり、

それはどこかで人間の哀しさのようにも思えます。

また引き起こしてしまった事故については、

まともな人であれば起こした本人が一番反省していて、つらい想いも抱えているはずです。

こうした悪意がないのに起こしてしまった哀しい「事故」については、

今後同じような事故が起きないようにするために、または対策を講じるために原因の追究は必要だとしても、

事故を起こした本人も反省しているのであれば、その人をさらに追い詰める必要はないようには思います。

少なくとも当事者ではない私たちには「罪を憎んで人を憎まず」という姿勢は大切なのかもしれません。


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自分が被害を受けても「罪を憎んで人を憎まず」という気持ちになれる?


(出典「photoAC」)

ですがもしも自分が被害を受けたり、その事故のために身近な人を亡くすような被害まで受けてしまえば、

何らかの償いを受けることは当然だとしても、

なかなか「罪を憎んで人を憎まず」という気持ちになることは難しいのかもしれません。

ただ難しいからこそ、そういう気持ちになることは素晴らしいことには違いありません。

私自身も自分自身が被害を受けて、心の底から「罪を憎んで人を憎まず」という気持ちになれるかは分かりませんが、

相手に悪意がないのに起こってしまった事故であれば、

少なくとも「罪を憎んで人を憎まず」という心境は、「目指すべき境地」と言えるかもしれません。

ただもしも相手に悪意があったり、事故を起こしても反省の気持ちがないならば、

それが理想だとしても「罪を憎んで人を憎まず」という気持ちになることは、とても難しいことだとは思います。

悪意があり、なおかつ反省の気持ちを見せない相手に「罪を憎んで人を憎まず」の姿勢を持つことは、

再び同じことが繰り返されてしまうことにつながりますし、

事故を起こした本人のためにも周囲の人のためにもならないことのようには思います。

事故ではなく事件の場合には?

また悪意のない不慮の「事故」ではなく、悪意から生じた「事件」の場合には、

犯罪を犯した人のそれまでの経緯を知ることで、「罪を憎んで人を憎まず」という気持ちになれることはあるのかもしれません。

私自身は以前に裁判の傍聴に行ったことがあるのですが、

その時の裁判では、その家庭には多くの借金があったようで、

借金の取り立てに怯(おび)えた母親は、借金取りが自宅に来た時にはいつも息子を出していたと話していて、

母親は以前のそうした自分の行いを裁判で語り、自分に責任があると言って泣きながら反省していたことを覚えています。

その裁判で事件を起こしたのは、その母親の息子でした。

そうした少年時代の経験が心にどのような影響を及ぼすのか?

それは経験したことのない私には分からないことですが、

誰もが幸せになりたいと願いながらも家庭環境は様々ですし、

自分自身にそうした経験はないとしても、

幼少期につらい思いをしたことが、のちの犯罪行為につながることがあることを知ることで、

事件を起こした人に対する考え方や見方が変わることはあるのかもしれません。

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終わりに

「罪を憎んで人を憎まず」ということは

特に自分自身が実際に被害を受けた場合には、非常に難しいことだとは思いますが、

悪意がないのに起こってしまった「事故」については、

事故を起こした本人にも反省の気持ちが見えるのなら、できる限り目指すべき境地と言えるのかもしれません。

またそうした事故であれば、起こした本人もつらい気持ちを抱えているとは思いますので、

周囲や世間で見ている私たちは「罪を憎んで人を憎まず」という気持ちで、

一人の人間を必要以上に追い詰めないようにする姿勢は大切なことなのかもしれません。

また悪意があるように思える多くの「事件」については、

罪を犯した本人に全く反省の気持ちが見えない場合もあるかもしれませんが、

場合によってはその犯人の背景を知ることで、その人に対する考え方や見方が変わることはあるのかもしれません。

とはいえ全てのケースで、ということは誰でも難しいことだとは思いますし、

だからこそ名言として伝えられてきているのだとは思いますが、

その事故や事件が起こった「経緯」によっては「目指すべき境地」と言えるようには思います。