支配という言葉があります。
主に権力者と民衆の「支配-被支配」の関係を指す言葉で、支配には抑えつける、縛りつけるといった抑圧のイメージがありますが、
支配は他人を抑えつけることなのでしょうか?
本来の支配というのはどのようなものでしょうか?
(追記:記載内容について一部見直しを行いました。)
目次(複数ページに分かれた記事もあります)
支配とは何か?本来の支配とは?
(出典「photoAC」)
支配という言葉は、「支える」「配る」という文字から構成されています。
何かを支える。何かを配る。
通常耳にする「支配」とは似つかわしくないことが、その文字には含まれています。
ふと自然界のことを考えると、地上の生命には食物連鎖のピラミッド構造があります。
人類は食物連鎖の頂点に立ちましたが、人類はこの世の支配者なのでしょうか?
何かを支える。何かを配る。
そのことを考えるとき、それは植物など食物連鎖の最下層にいる生き物たちこそ、そのことを実践しているように思えます。
植物を見れば葉や根などを食べられることがありますが、花を咲かせ蜜を作っては昆虫や鳥をおびき寄せることもありますし、
果物などの実を作っては他の動物の食べ物を提供してくれています。
ただ昆虫や鳥をおびき寄せながら、植物は実は花粉を受粉させていたり、
実を食べさせていながら、実はタネを遠くに運ばせているという戦略も取っています。
そこには知性さえ感じますが、そのために私たちも様々な食べ物を楽しむことができますし、
文字通りその命を配り、他の生命を支えているのは、実は最下層にいる植物などの生き物で、
私たち人類は食物連鎖の頂点にこそ立っていますが、他の生き物たちに支えられている生き物だと言えるように思います。
またもしも植物などの食物連鎖の最下層の生き物たちがいなくなったら・・・
それを食べる生き物も私たち人類も、生きていけなくなることになってしまいます。
いなくなると困る。
それが本来の支配の姿なのかもしれません。
支配とは何か?権力者は支配者?人の世の本来の支配者とは?
(出典「photoAC」)
いなくなると困る。
それが本来の支配の姿だとすると、もしも人の世の中で支配者がいるとすれば、
それはいなくなったら困るような、そんな偉大で重要な人物のことなのかもしれません。
また偉大で重要な人物とまで言わなくても、人と人は支え合いながら与えたりもらったりしながら生きていると思いますが、
支配する側は、支えられるよりも支えることが多い人で、配られるよりも配ることが多い人。
もしかするとそう言えるのかもしれません。
終わりに
ここでは「支配」のその文字から、本来の支配について考えてみました。
現実的には会社などでは上の人が厳しい姿勢を見せることがありますが、ある意味ではそれは必要なことだとも思います。
私自身もどこかで楽をしたいという気持ちはありますが、そうした気持ちは誰しも抱えているかもしれませんし、何か問題が起これば責任を取るのは上の立場の人たちで、
その他にも稼ぐことの大変さや資金繰りなど、下の立場の人たちには分からない苦労を上の立場の人たちは抱えていると思います。
会社の中では全ての人が完成された人たちだけとは限らない中で、下の立場の人たちが漫然と過ごさないように、勝手な行動を取らないようにと指導するために、
そして組織としてまとめるために、時に上の立場の人たちには厳しい姿勢も必要になるように思えます。
またここに書いた支配のことを考えていると、ふとある人物のことが浮かびました。
私はスポーツ雑誌ではNumberが好きで、以前からたまに買って読んでいたのですが、グアルディオラが監督だった頃の黄金時代のFCバルセロナを特集した時、
そこにセルヒオ・ブスケッツという選手のことが書かれていました。
彼を取り上げたのは2ページで副題は「最も目立たないMFの存在理由」
しかしここに書かれていた内容は非常にしびれるものがありました。
グアルディオラが監督だった頃のバルセロナは、その4年間でヨーロッパチャンピオンズリーグ優勝2回、スペインリーグ優勝3回、スペイン国王杯優勝2回という輝かしい成績を収めることに成功しましたが、
その名監督のグアルディオラは彼のことをこう評していました。
観客を惹き付けるタイプじゃない。だがチームにサッカーをさせているのは彼。ブスケッツがいるから周りの選手は普段以上に良いプレーができる。
(引用元:Number797号 P.39)
エリートコースを歩んだわけではない彼は、ストリートのサッカーで揉まれることで様々なことを学んだようですが、サッカーを熟知する人物がブスケッツをこう評価する。
この話を思い出すと、ここに書いた支配は彼にこそ当てはまるような、そんな気がします。