今の私たちは日本に住んでいますが、国とは、国家とは何なのでしょうか?
日本人の私たちは陸続きで他の国とつながっているわけではありませんし、ほとんどが日本人という環境の中で日本という国の中で過ごしていますが、
自分たちの民族の「国家」というものを持たない人たちもいます。
ここでは国とは何か?というテーマで考えたいと思います。
(追記:記載内容について一部見直しを行いました。)
目次(複数ページに分かれた記事もあります)
国とは何か?国の成り立ちとは?
(出典「photoAC」)
もともと国ができたのは、一部の人たちが他の人々を支配する構図から始まったと思われます。
人々はそれぞれの集団(群れ)で生活していたと考えられますが、その中で縄張り争いも起こったと思いますし、
農業が発達するにつれて食糧を蓄えられるようになると、おそらくですが人口は増加したと思われます。
増えた人口分の食べ物を得るために他の土地を開墾することもあったと思いますが、
蓄えている食べ物を奪う人たちもいたと思いますし、集団と集団が戦う中で他の集団を支配することもあったと思います。
そうして小さな「支配-被支配」の関係が始まり、人々の集団は徐々に大きくなっていったと考えられますが、
大きくなった集団同士の争いも起こり勝ち負けが決まり、いつしか大きな国が生まれてきたと思われます。
ただもともと国は上記のような経緯で成り立ってきたと思われますが、古くから国を守ることも国(国家権力)の役割として求められてきました。
政治の政の文字は「まつりごと」と呼びますが、昔は原因の分からなかった地震などの天災や疫病をお祈りやおまじないで本気で防ごうとしていました。
そのため神社や寺院は現在のように多くの人に開かれた場所ではなく、国のために祈りを捧げる場所で、何か天災が起こると政治が悪いからだと考えられていたと伝えられています。
現在ではそうした天災の原因が分かっていますが、歴史を振り返る時にはその時代背景を考えるべきだと思いますし、
当時の人たちは現代の私たちほど発達した文明を持っていたわけではありませんので、
祈りやおまじないで天災を防ごうと当時の人たちが本気で真剣だったことは、今の常識から考えて見下すことではないように思います。
国とは何か?国家のあるべき姿とは?
(出典「photoAC」)
また古代インドの思想家たちは、
゛「王が存在しなければ社会は弱肉強食の混乱状態に陥る」として王権の必要性を説いてきた゛と伝えられています。
(引用元:南アジア史 山川出版社)
王や権力の存在意義については古くから考えられてきていますし、これは個人的に思うことですが国や国家というものは一握りの人のためのものではなく、
全ての国民のためのものでなければならないと思います。
「全国民のための一つの組織であり仕組み」
それが国であり国家だと思います。
そのために憲法には「すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。」と記載されています。
憲法は権力者を縛るものという位置づけのものになりますし、国家の政治に携わる政治家や官僚、国家公務員などの人たちが守るべきものになりますが、
上記の理由からもこうした方々は、私利私欲ではなく公益を重視した姿勢が求められると言えます。
ただ国は「全国民のための一つの組織であり仕組み」と書きましたが、
あくまで国という巨大な組織が権力者など一握りの人たちだけにとって都合の良いように利用されるべきではないという意味で、
国の組織や仕組みは全国民のための政治を行うべきで、国は個人のために何でもするという組織ではありませんし、そこには相互に協力し合う関係も必要になると思います。
例えば「全国民のための一つの組織であり仕組み」である「国」が上手く機能するためには、私たちは税金を納める必要があることも念頭に置くべきことだと思いますし、
国は私たちの税金を使う組織でもあり、また民主主義は権力者を選ぶことのできる仕組みでもありますので、私たちは国家権力を監視することも必要になると思います。