8月15日は終戦の日ですが、戦争を知っている方々が亡くなり戦争を知らない世代の人たちが増えていく中で、
戦争の悲惨さを改めて考えることは、戦争が良くないものであることを考え直すキッカケになると思います。
そこでここでは戦争とは何か?また戦争の悲惨さについて改めて考えたいと思います。
(追記:記載内容について一部見直しを行いました。)
目次(複数ページに分かれた記事もあります)
戦争とは何か?戦争が起こる原因とは?
(出典「photoAC」)
戦争というのは、集団と集団のもめごとを武力で解決する時に行われるもので、
国と国との間で行われる戦争もあれば、現在の世界で行われているようにテロ組織と国が行う戦争もあれば、
内戦という形で国内で行われる戦争もあり、日本では戦国時代や明治維新での内戦などが挙げられます。
古くから人類は戦争を起こしてきたと考えられますが、
食糧や水の奪い合いという、生きるために行ってきた集団同士の争いもあると思いますし、
そのような集団同士のもめごとが解決せず、お互いのフラストレーションが溜まった状態で、
何らかのキッカケからもめごとを武力で解決してしまおうという流れになってしまうことが戦争と考えられます。
また国内の不満から目を逸らすために戦争が行われたとも言われます。
戦争の悲惨さとは?
(出典「photoAC」)
また戦争の悲惨さについて考えていきたいと思いますが、
戦争が起これば、罪もない一般市民の多くが戦争に巻き込まれて亡くなることが大きな問題で、
特に女性や子供など、弱い立場の人が戦争では苦しい思いをすることになります。
また平和な状態であれば、人はその才能を発揮できると考えられますが、
戦争が起こればその逆に、人はその才能を発揮しにくくなると考えられます。
さらに戦争が起こることで、人と人との絆が、力づくで強引に引きちぎられることも戦争の大きな罪です。
平和であれば、家族や愛する人、友人知人との時間を過ごすことができますが、戦争が起こるとそうした絆が力づくで断ち切られてしまいます。
戦争を知っている世代の方々が亡くなり戦争を知らない世代の人たちが増えていますし、
私自身も戦争を知らない世代ではありますが、映像や写真から戦争の悲惨さについては、
「もしも自分がその現場にいたら」
他人ごとではなく、まるで自分のことのようにリアルなまでに想像力を働かせることは大切なことだと思いますし、そこが勝負所と言えるのかもしれません。
また大切な人との別れの哀しみを知れば、戦争で大切な人との絆が強引に引きちぎられることの痛みが分かると思いますし、
そうしたことに想いを寄せることで、戦争を知らない世代の人たちにも戦争が良くないものであることは理解できるのではないか。
私はそんな風に考えています。
戦争を防ぐために必要なこととは
(出典「photoAC」)
また難しいことになりますが戦争を防ぐためには、まずは権力者にも抑制が効く仕組みが必要になると思いますし、
権力者は人々の指導者であるべきで、高い地位には重い責任が宿るという考え方を権力者も持つ必要があるようにも思います。
また権力者の身勝手な振る舞いを監視する役割がメディアにも求められると思います。
「ペンは剣よりも強し」と言われますが、
そんな剣よりも強いペンを誰に向かって使うべきか、
そうした姿勢がメディアには問われていると言えます。
そのように権力者自らが自制しながらメディアを含めた全員で権力者を監視する。
「権力抑制主義」という考え方が戦争を防ぐためには必要になるように思います。
また戦争を防ぐためには、私たちも自分の都合ばかりを考えていても良くないのかもしれません。
私を含めて、どんな人にも自分の都合がありますし、どんな国にもそれぞれの言い分があれば、
どんな民族、どんな宗教を信仰している人であってもそれぞれの立場や都合があります。
そんな中で自分の都合ばかり考え相手に押しつけようとすれば、いつか他人の都合とぶつかり衝突が生まれてしまうことになりますし、
そうした世論のくすぶりが、後々戦争の火種になるのかもしれません。
そんな火種を生み出さないようにするには、相手の国や民族、宗教についてインターネットという便利な道具を活用して、
まず相手のことを知り理解しようと努めることも必要な気がします。
そして相手の側に立ってみると相手の言い分が理解できることがあるように思えますし、そうしたところから調和は生み出されることもあると私自身は思います。
それを広げて自分たちの国だけではなく「人類」または「地球」という枠で物事を考えていき、調和を生み出そうとする気持ちが戦争の火種を消す力になるような、そんな気がします。
終わりに
(出典「photoAC」)
戦争は良くない。
それは頭で分かっていても口ではそう言っていても、私自身は正直に言えば肌身ではそのことが分かっていないかもしれません。
ただ広島の原爆ドームや平和記念資料館を訪れて、針が止まった時計や様々な遺品や写真を見て、
「もし自分だったら」「自分の身近な誰かだったら」
リアルなまでに想像力を働かせることで戦争の恐ろしさが少しだけ分かったような気はしています。
また戦争がなくても人と人との競争が無くなるわけではないと思いますが、
その競争は人の足の引っ張り合いをするようなものではなく、優れたものを生み出す方向性の競争により優れたものを作り出し、
より良い社会を築くことが戦争を防ぐためには求められていると思います。
そのためには自分の都合や立場を抱えながらも、どこかで自分の都合や立場を離れて、全体から物事を考える精神のグローバル化が必要なのかもしれません。
そうした考えを持ち調和を望む人が増えることで、戦争は起こりにくくすることができると信じています。
そしてそれは過去の英雄に望むことはできません。
今を生きる私たちだけが成し得ることができるということも、また確かなことだと思います。