自由という言葉は良い響きに思えますが、本来の自由とはどういうものでしょうか?
自由には責任が伴うと言われますが、
自由は甘美な響きでもありますし、どこか自分勝手と勘違いされがちな気がします。
ただ本当の自由には難しさがあると思います。
ここでは自由について考えてみたいと思います。
目次(複数ページに分かれた記事もあります)
自由とは何か 好き勝手に生きること?
(出典「photoAC」)
自由という言葉には、様々な捉え方があると思いますが、
自由が「好き勝手に生きる」ことを意味するのであれば、
自分自身が、自由な好き勝手な生き方を行うのは良いように思えますが、
他の人に自由な好き勝手な生き方をされると、どうでしょう?
おそらくほとんどの方は、はた迷惑に感じることが多いと思われますし、
周りの人にうとまれてしまえば、良い関係は築けなくなると考えられます。
そう考えると、人と人との関係の中で生きていくためには、
好き勝手に生きる「自由」というものは、私自身は存在しないもののように考えていますし、
あるとすれば無人島で一人で生きていく時ぐらいなのかもしれません。
しかしそれでも食べ物を取ろうとすれば、
適切なタイミングでしかるべき場所に向かう必要があるように思えますし、
好き勝手に行動しても、自分の身が守れたり、
好きな時に好きな物が食べられるわけではないと考えられます。
自然の中で一人で生きるとしても、周りに合わせて生きなければならないのであれば、
無人島で一人で生きていても、
好き勝手に生きるという意味での「自由」は、存在しないもののように思えます。
自由は、本来は好き勝手に生きることを意味しているわけではないはずですが、
自由という言葉には、どこか好き勝手に生きられるような甘い響きがあるように思えますし、
そう勘違いして受け取られやすい部分があると考えられます。
私自身も楽をしたい、好き勝手に生きたいという気持ちが多少はありますが、
個人的には、自由というよりも「調和」という言葉を使った方が良いのではないかと考えています。
私の考える善悪については、こちらの記事に書いたのですが、
→善悪とは何か?個人や集団の善悪と、善であろうとすることで起こす悪
自分の都合や欲望だけに偏ってしまうことは悪いことのように思えますし、
自分の都合や欲望を抱えながらも、他の人の都合や欲望とバランスを取り続けることが、
私の中では善だと考えていて、
「調和」であれば好き勝手と混同されることなく、自分の欲望や願望を抱えつつも、
周りに合わせて生きる必要があることが、言葉からもイメージが湧くと考えています。
自由とは何か 本来の個人の自由について
(出典「イラストAC」)
本来の自由は、そういう意味では好き勝手に生きることを意味しているわけではなく、
個人で何かを決断するにあたり、権力や社会に強制されることなく、
個人の自由な意志が尊重されて、個人が決められることを意味していて、
その代わりにその決断に関する責任は、その個人が背負うものになると考えられます。
また自分自身が自由でありたいと願うのであれば、他の人もそれは同じはずで、
自分自身の自由を主張するのであれば、
他人の自由も認めなければならないと考えられます。
そういう意味では押し付けは良くないと言えますし、
他人の自由を侵害する自由までは、認められるべきではないと考えられますし、
また自分の自由を尊重して欲しいのであれば、
他人の自由を尊重できるような寛容性が求められると考えられます。
また自由主義(リベラリズム)という言葉がありますが、
これは歴史的に見ても、権力が個人を縛るまたは抑圧することが多かったと考えられますが、
そうした縛りや抑圧から、個人を解放すべきということを意味していて、
それは人権につながる思想だと考えられます。
そういう意味では本来の自由は、「自由」単独で使われるのではなく、
「支配からの自由」や「抑圧からの自由」など、
「~からの自由」という使い方がなされるべきなのかもしれません。