自由とは何か 本来の自由のあり方とは 自由の中の難しさ

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自由とは何か 自由の中にある難しさ


(出典「photoAC」)

ただ自分で何でも決めて良い、ということは実は難しい部分があり、

何が正解なのか?それを探すだけでも難しい場合があります。

そのために周りの人の意見を聞いて決めることは多いのかもしれませんし、

決められた方が楽な面はあるのかもしれません。

そのために人は「常識」というものを頼りにするのかもしれません。

常識は、多くの人がこれはこうだろう、と漠然と思っていることだと考えられますが、

自分で考えて答えを出すよりも、常識を頼りにした方が楽ではありますし、

また常識に頼っていれば、他の人から変に思われなくて済むという安心感はあるかもしれません。

ただ常識とされていることが、真理とは限らない場合もあるように思いますし、

かの発明王のエジソンは、変わった子供だと先生から言われていたというエピソードがあります。

常識に縛られていれば、その枠の中でしか思考が働かないと考えられますし、

そうした常識に縛られない柔軟な発想から、偉大な発見がもたらされることもあり、

時には常識を疑うこと、常識「からの自由」も必要なのかもしれません。

また憲法では、職業選択の自由が書かれています。

いくつもある職業のうち、何を選択するかは本人の自由ではありますが、

人気がある職業であれば、その職業に就く前から厳しい競争があります。

またその競争に勝ち、たとえ好きな職業に就けたとしても、それで終わりではなく、

その仕事を続けるためには、他の人に必要とされる、愛されることは必要になると考えられます。

世の中の人たちのニーズは変わることもありますし、新たな技術が開発されることもありますので、

好きな職業に就けたとしても、その仕事を続けていけるようにするために、

他の人に必要とされるための努力や、愛されるための努力には、

実は終わりはないのかもしれません。

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終わりに

「支配からの自由」「抑圧からの自由」は、歴史的な経緯から考えられてきたことで、

人権と関係してくる考え方ですので尊重されるべきですが、

どこか「自由」だけが一人歩きしてしまい、

好き勝手な自由だと受け取られやすい部分があると考えています。

人は誰しも一人では生きていけない存在だとは思いますが、

人との関係の中で生きていくためには、好き勝手な自由は慎むべきで、

人との関係の中では「調和」を重んじるべきだと考えられます。

好き勝手に生きられないことで、息苦しさは感じるのかもしれませんが、

好き勝手に自由に生きているように見える人でも、

実は背後ではそうした息苦しさは感じているのかもしれませんし、

それを人に見せないようにしているだけなのではないかと個人的には思います。

また生きとし生けるものは、すべて生存競争にさらされています。

人間は文明の力で、そうした生存競争からは逃れられていますが、

人間は食物連鎖の頂点に立ったがゆえに、他の人との間での競争を余儀なくされています。

個人的には、生命に与えられたこの「競争の原理」からは、

文明の力で地球上を制した人類も、逃れられないのではないかと考えています。

もちろん戦争は忌(い)み嫌うものではありますが、経済の枠組みの中での競争が終わることはなく、

自分の仕事が他の人に必要とされるための努力には、終わりがないと考えられます。

私自身の中にも、どこかに楽をしたいという気持ちはありますが、

そういう意味でも、好き勝手に生きられるという意味での自由は、

この世には存在しないようには思いますし、そう割り切ることが必要なのかもしれません。

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