現在の日本では、民主主義による政治が行われていますが、民主主義は正しい仕組みなのでしょうか。
そもそも民主主義とは何なのでしょうか。
本来、民主主義はどうあるべきなのでしょうか。
ここでは民主主義について考えていきたいと思います。
(追記:記載内容について一部見直しを行いました。)
目次(複数ページに分かれた記事もあります)
民主主義とは 民主主義は正しい?
(出典「イラストAC」)
民主主義は、正しい政治制度なのでしょうか。
私は民主主義をうまく機能させるためには難しいことが多いと考えています。
民主主義は、例えば選挙を行えばそれで全てが上手く機能するというものではなく、
民主主義という制度は「私たち国民の政治に対する意識が問われる制度」と言えます。
そもそも国というのは一握りの人たちだけのものではなく、その国の全員のために存在するべきだと私は考えています。
民主主義では、そうした政治が行われる「可能性」はあると考えていますが場合によっては独裁政治が生み出されるなど、
政治家の、政治家による、政治家のための政治が行われる可能性もありますので、
民主主義を導入すれば、それで私たちが何もしなくても良いというものではないと考えています。
民主主義を上手く機能させるためには、私たちが何をしなければいけないのか、それを考え続ける必要がある難しい仕組みでもあると言えます。
民主主義とは 本来の民主主義とその可能性
(出典「photoAC」)
民主主義というのはそもそも何なのでしょうか。
民主主義は政治制度・政治思想の一つで、私たち国民が国家や集団を支配するもので、
限られた範囲の中で物事を決める場合には、全ての人が参加して物事を決める「直接民主制」も可能ですが、
範囲が広がり関係者が多くなればそうした形は難しく、私たちの代表者を選んでその代表者が議論して決める「間接民主制」になります。
また民主主義は多数決で物事が決められる側面は確かにあります。
例えば民主主義では選挙で政治家を選びますが、地域や国の指導者やリーダーにふさわしいと思う人物をそれぞれの人が投票することになりますが、
この点については多数決で決められることにはなります。
多数決ではない本来の民主主義
ただそこから先の民主主義は本来は多数決ではありません。
本来の民主主義は「話し合う」ことから始まると考えられます。
きちんと話し合うことで議論を深め、多くの人が合意できる落としどころを探り、
またはこの国をどうしたいのか、そんな自分の想いを多くの人に語り説得することで、
「合意形成を図ること」が民主主義の本来のあり方で、
決めるべきことがあって時間の制約があるために、どこかで決断をする必要があるために行われることが「多数決」だと考えられます。
また最終的に合意を得られているのか確認を取るために「多数決を取る必要がある」とも考えられ、
多数決を取らなければ、本当に合意を得ているのか確認できないことになってしまいます。
そういえばアイヌの人たちの本を読んだ記憶になりますが「アイヌは言葉を尽くすから平和なんだ。」という言葉がありました。
確かに私たちは言葉を使えますので言葉を使わない手はなく、言葉で本音を語り合いお互いが歩み寄り、意見をすり合わせることは可能なはずで、
それこそが民主主義の核心だと私自身は考えています。
そして話し合い意見をすり合わせて、少数派の人たちの意見をくみ取ることも重要で、
そうした少数派の意見も政治に反映させることができる仕組みとしては、民主主義という制度以上のものを私たちは作り出せてはいません。
またそうしたくてもできなかったのが過去の専制政治や独裁政治でしたが、
民主主義という制度は過去の政治体制のように一部の人たちのための政治ではなく、
広く「私たち国民のための政治が実現できる可能性のある仕組み」と言えます。
終わりに
民主主義には私たち国民のための政治が行われる可能性があると考えられますが、
民主主義でもヒトラーのような独裁者が生まれたように、民主主義は様々な政治体制にもなり得る政治体制だと思いますし、
民主主義でどういった政治が行われるかは、ひとえに私たち国民の肩にかかっていると言えます。