人間だけが言葉を使いこなしていますが言葉には様々な力があり、例えば笑いを生み出すこともできますし、人を傷つけることもできます。
ここでは言葉が文明を築く上で果たしてきた役割、また言葉の性質としてデジタルなものであることや表現できることの限界、
最後に言葉をきちんと使いこなすために必要なことを見ていきたいと思います。
目次(複数ページに分かれた記事もあります)
言葉とは何か?文明の母~次世代に伝える役割
(出典「photoAC」)
人は言葉によって、物事を次世代に伝えることができるようになっています。
文字がない頃には、口伝(くでん)といって、それを受け継いだ人が完全に暗記して、それがまた次の世代の人たちに受け継がれていました。
文字ができたことで言葉を記録することができるようになり、口伝という方法は使われなくなりましたが、
言葉や文字があるために、私たちは過去の歴史を知ることができ文明を発達させてきたと考えられます。
文明については過去の人たちの業績が記録されていれば、そこまではすでに分かっていますので、
それを受け継いだ人たちは、そこから先を研究や調査をすれば良いことになります。
例えば陸地を旅してどこそこまで行って、どういう状況だったか。
それが文字で伝わっていれば、調査するのはその先だけで良くなりますが、
もしも言葉や文字がなければ、その時代の人たちはいつも初めから研究や調査が必要になります。
そういう意味で科学や技術といった文明は、文字があることによって発達してきたと考えられます。
言葉や文字は文明の母と言えるかもしれません。
言葉はデジタル?表現できることの限界~デジタルとアナログの違いは?
(出典「photoAC」)
言葉はデジタルなものだと考えられます。
まずデジタルとアナログの意味から見ていきたいと思いますが、
デジタルは離散(りさん)量、アナログは連続した量と言われますが、
デジタルはとびとびの値で表したもの、
アナログは切れ目がない連続したもの、と考えられます。
例えばデジタル時計では1秒単位に刻むものであれば、12時15分50秒と表示されますが、
アナログ時計で針がなめらかに動くものであれば12時15分49秒~50秒~51秒までなめらかに針が動きますし、
実際の時間はアナログで動きますので、12時15分50秒00のその瞬間は1秒も留まることなく一瞬で過ぎ去ります。
言葉がデジタルな理由
(出典「photoAC」)
それがデジタルとアナログの違いだと考えた上で言葉がデジタルだと考えられるわけは、
言葉が表現しやすいのは、物であったり事実や出来事で、それは確たる表現ができます。
これは木か石か、何かをしたか、しなかったか、
それはYESかNOで答えることができます。
言葉は頭から発するものだと考えられますが、目で見るなどにより頭で認識したことを、頭から発する言葉で表現することは可能だと考えられます。
ただ言葉で表現することが難しいのは心だと考えていて、私自身は心はアナログだと考えています。
そんな自分の中にあるアナログな心を言葉で表すとしても、その心の中には実は様々な気持ちが混じっていて、
心には深さもありますので自分で気づいていない気持ちがある場合もあります。
それこそ心の中はグラデーションのように微妙に様々な気持ちがないまぜになって、その中でその時の気分によって強くなる気持ちがあって、その部分だけを言葉にすることは多いと考えられます。
また告白するには勇気が必要ですが、中には照れて言えない気持ちや恥ずかしくて言えない気持ちもあれば、
ごまかそうとするがゆえに言えないことがあったり、
また時間の制限や会話の流れから言い尽くせないこともあるかもしれませんし、言葉にした後で心や気持ちが変化することもあります。
何を言いたいかといえば「言葉で心や気持ちを表現する場合」には
「心や気持ちの一部分だけを、言葉で切り取ることがある」と考えていて、
それが言葉がデジタルだと私が考える理由になります。
心をボールのようなものに例えると、言葉で表現できるのはその表面の一部だけでしかないのかもしれません。