善悪とは何か?個人や集団の善悪と、善であろうとすることで起こす悪

考えてみると善悪というものは、

一個人としての善悪から、集団や組織としての善悪、

または人間社会としての善悪があると考えられます。

ここでは善悪について考えていきたいと思います。

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目次(複数ページに分かれた記事もあります)

善悪とは 一人の個人としての善悪


(出典「photoAC」)

善悪は一人で成立するものではなく、

他の人との関係の中で、初めて成立するものだと考えられます。

また誰しも人に、不愉快なことをされたくはありませんので、

人に迷惑をかけないことが善で、人に迷惑をかけることは悪だと考えられます。

人を殺すことが悪いことだということは、

誰しも分かっていることだと思いますが、改めて考えてみると、

自分が殺されたり、自分にとって身近な大切な人が殺されることを考えれば、

それが悪いことでしかないことが理解できます。

また人に迷惑をかけない、という意味では、

自分の都合を相手に一方的に押し付けることは、

人に迷惑をかけることになる場合が多いと考えられます。

私もそうですが、人間は誰しも自分の都合や欲望を抱いていると思いますし、

自分にとって都合の良いことを善だと捉えがちですが、それが他の人にとって不都合であれば、

自分の都合や欲望が、他の人の迷惑にならないようにする必要があると言えます。

善は自分の都合や欲望と、他の人の都合や欲望とのバランスが求められると言えるのかもしれませんし、

逆に言えば、悪は自分の都合や欲望だけに偏った状態と言えるかもしれません。

コマは力を入れて回転すれば、バランスを取って立って回転しますが、

回転する力が無くなると、バランスを失って倒れてしまいます。

そう考えると人間も力を抜くと、バランスを取り続けることが難しくなると考えられますので、

どこかで力を抜く瞬間があったとしても、

いつまでも力を抜き続けていればバランスを失い、

人の心は自分の都合や欲望だけに傾き、悪に傾いてしまうのかもしれません。

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善であろうとすることで起こす悪


(出典「イラストAC」)

私自身の若い頃の、苦い経験になりますが、

以前の私は自分自身を人に良く見せようとする気持ちが強く、

そのために自分の失敗をごまかすことが多かった記憶があります。

ただそれでその場を取り繕うことができても、

その後に心苦しくなったり、バレないかとヒヤヒヤしたり、

精神的に良くない状態を感じたこともあります。

なぜかつい、ごまかしてしまう。

その根っこには自分の心に、どういう心理があるのかと考えた結果、

自分自身をよく見せようという意識が強いのではないか、と考えました。

そうした意識を取り除き、悪い部分を見せようとした時、

その時から正直でいられることができるようになった気がします。

そうした私自身の経験からは、

善であろうとすることで起こす悪があると考えています。

ミスや失敗は、それを隠すよりも見せる方が、周りの人は悪く捉えないとも感じまし、

またごまかしたり嘘をついていれば、大事な人と良い関係を築くことは難しくなりますので、

善であろうとするよりも、悪い部分やダメな部分を見せようとする気持ちを持っていた方が、

善を実践できるような気がします。

100%の善人はどこにもいないと思いますし、

チョイ悪ぐらいが、人間ちょうど良いのかもしれません。

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