目次(複数ページに分かれた記事もあります)
歴史とは何か?人類の積み重ねという側面
(出典「photoAC」)
また人類のこれまでの経過が文字として刻まれたものや、発見によって分かったことが歴史として認識されますが、歴史はこれまでの人類の積み重ねという側面もあります。
人間社会はこれまで築くこともあれば、戦争などで破壊することを繰り返しながら徐々に社会を発達させてきたと思いますが、
特に学問や思想などの分野では、これまでの多くの人物の業績が集積され人類の英知が集積されてきた面もありますし、
政治の仕組みも大きく変わり民主主義という仕組みが導入されるに至っています。
以前は権力者という地位は権力者とその子孫が代々受け継ぐもので、そこに腐敗があり衰退すると、別の権力者が力と血で取って代わるという歴史を人類は重ねてきましたが、
民主主義という仕組みはそれを大きく変えるもので、権力者の交代は血を流す必要がなくなっています。
ただここに至るまでには名も知られていない多くの人たちの犠牲があったことも確かなことで、多くの人たちの犠牲の元に現在の社会が作られていることは、頭の片隅に入れておいても良いのかもしれません。
歴史とは何か?立場によって見え方が変わる歴史認識
(出典「photoAC」)
また歴史はそれぞれの国で違いがありますし、国同士では競争があり、戦争が起こってきた歴史もあります。
国と国の歴史が触れ合うこともあれば、衝突してきた歴史もある中で、歴史的な出来事はそれぞれの国の立場で見え方が違ってくるという側面もあります。
それは歴史観や歴史認識と言われますが、以前の戦争のことで言えば日韓の歴史認識のズレはいまだに埋められないままでいます。
明治時代の日本の歴史認識について
(出典「photoAC」)
この歴史認識については非常に難しい問題ですが、必要以上に自分の国の歴史を卑下する必要はないと思いますし、
江戸末期から明治維新にかけて、当時の日本人の努力があったおかげで外国からの支配を逃れることができたことも確かだと思います。
江戸時代末期から外国からの圧力がありましたし、不平等な条約を結び耐えながら明治維新では国内で血を流した人たちがいて、
何とか国を一つにまとめあげることに成功して、西洋諸国との遅れを取り戻すために富国強兵を強く推し進めた結果、日清、日露戦争でも勝利するほどの力を蓄えることに成功したことは事実です。
ただその後には内閣がロンドン海軍軍縮会議で軍縮条約を結んだことから、憲法に定められた天皇の「統帥権干犯問題」が起こることになりますし、
天皇には軍の統帥権があることや内閣と軍の関係に明確な規定がなかったことから、
内閣が行った軍縮条約の締結は天皇の統帥権の侵害にあたるとして軍も野党も政府を批判し、当時の浜田首相は銃撃される事態になります。
その後軍部は「統帥権の独立」を盾に、政府の言うことを聞かなくなり軍部は暴走を続け、第二次世界大戦に突き進むことになるなど負の側面が見えてくるようになります。
憲法上の問題を突かれ、軍部の暴走を政治が止められなかったことは日本の問題だったと思いますし、当時の日本の仕組みには問題があったと言えるかもしれません。