ロボットやAIは心を持つか?心はどこにあるのか?

最近の人口知能(AI)の進歩は目覚ましいものがあり、

将棋や囲碁の世界でも、プロ棋士を負かすほどになっています。

ロボットやAIが進歩しつづけていけば、

ロボットやAIは、心を持つようになるのでしょうか?

そもそも心とは何なのでしょうか?

そして心はどこにあるのでしょうか?

ここでは心とは何かという点や、心はどこにあるのかということを考えると共に、

ロボットやAIが心を持つようになるのかという点に注目して、私の考えを書いていきたいと思います。

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そもそも心とは何か 心の根本にあるものとは


(出典「photoAC」)

私自身は心の根本にあるものは、生存本能だと考えています。

生存本能があるから子孫を残したいと思い、だから異性を好きになる。

生存本能があるから、暑さを感じれば涼をとり、寒さを感じ取れば暖をとる。

また生存本能があるから、食べられないことに対する不安や外敵に対する怖さを感じるなど、

自分にとって不都合なことを嫌なことだと感じ取りますし、

時に傷つくこともあるのも心で、それは生存本能からくる防御反応だと考えられます。

ですので心の働きの全ては、生存本能があるからだと考えると、

私としてはつじつまが合うように思えますので、

心の根本にあるものは、生存本能なのだと考えています。

では生存本能は、いつ生まれたのか。

それは自然(神と言えるかもしれません)の領域だと思いますので、

人間にはそこから先は分からないことなのかもしれませんが、

少なくとも生命が生存本能を宿した時から、生命は進化してきたと言えるように思います。

以前に読んだ本に書いていたのですが、

地球の原始の海を再現したら(原始の海の成分や水圧などを再現した実験だったと記憶しています。)、

タンパク質の固まりができたという実験を見たことがあります。

そこから考えると、生命が地球上に誕生したころのことを想像すると、

おそらく最初の生命は、タンパク質の固まりだけで、

生存本能を宿していない形から始まったのかもしれません。

ですので海の波で岩に打ち上げられれば、壊れることも多かったと思いますが、

それがいつの日か、生存本能を宿すことになった。

それから生命は心を宿し、生きたいと思う気持ちが出てきて、

繁殖を繰り返していくうちに、別の遺伝子を持った生命が現れるようになり、

生命は進化してきたのだろうと考えています。

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心はどこにあるのか 人の心のある場所について


(出典「photoAC」)

では、人の心はどこにあるのでしょうか。

脳にあるのかもしれませんし、ドキドキする胸にあるのかもしれません。

ただ私の場合は、心は腹、特にお腹の底の方にあると考えています。

日本語には腹黒い、なんていう言葉がありますし、

腹が据わるという言葉もありますが、禅では丹田(たんでん)というおへその下あたりを意識しますし、

私の中では、昔の人のそうした感覚が正しいように思います。

また人間の腸には、たくさんの神経細胞が集まっていて、

そのために腸は「第二の脳」だと言われているそうです。

心は腹の底にあると考えている私としては、

この腸に集まっている神経細胞が「心」なのではないか。そう考えています。

ただ心の場所については、人それぞれの意見があるのだと思います。

ロボットやAIは心を持つようになるのか


(出典「photoAC」)

では最近話題になっているロボットやAIは、心を持つようになる時が訪れるのでしょうか。

私の個人的な考えでは、それはないのではないかと考えています。

私自身は、心は生存本能が根本にあると考えています。

だからこそ子孫を残したいと思い、異性を愛することになる。

だからこそ暑さ寒さを感じて、自分に適した温度を確保するための行動を取り、

だからこそ周囲の環境などに、不安や怖さを感じるのも心で、

また生存本能があるからこそ、心は傷つくこともありますし、

場合によっては人を疑うことがあるのも、過去の心の傷からくる心の防御反応だと思います。

生命の本来の「心」は、そうした反応をするものだと思いますし、

ロボットに心があるようにプログラムなどで振舞わせることができたとしても、

それは心に似たものであって、生存本能からくる生命本来の「心」とは違うもののように思います。

生命に心を宿すこと。

それは自然の、または神の領域であって、

私たち人間は、自然や神と同じ領域にたどり着くことはできないと考えています。

私たち人間は自然や神が与えたものの範囲の中で生きていくしかないような、そんな気がします。

終わりに

ここに書いたことは、あくまで私の考えにすぎません。

心とは何か。心はどこにあるのか。

そのことだけでも様々な考えがあるのだと思います。

そんな意見や考えの多様性は、どこか生命の多様性に似たものを感じます。

そして様々な意見や考えを交わして、考えに磨きをかけ、時には取り入れることで、

より良い意見や考えが生み出されていけば、

人の社会は、もっと良くなっていくに違いありません。

意見や考えを戦わせるだけではなく、

意見や考えを言いやすい環境の中から、より良い意見や考えを探す方向に、

多くの人たちが向かってくれることを願って、

この文章の終わりにしたいと思います。

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コメント

  1. 永井哲志 より:

    心はどこから生まれるのか の著者です。

    ロボットやAIは生きていないので、私たちのような心はない、不可能です。

    • 戸高 基史 より:

      そうですよね。私もそう思います。

      (追記)ロボットやAIは、人の心に似せた動きなどはできるかもしれませんが、

      それはあくまで「心に似せたもの」や、

      人間がそれを見て心のように「感じるもの」であって、

      心そのものではないと思います。

      この記事にも書いていますが、

      私自身は心の根本にあるものは、生存本能だと考えていますので、

      生きていないロボットやAIに、心は無いと思います。