愛とは何か。
難しいテーマではありますが、
私自身は愛を求めていると思いますし、人は誰しも愛を求めていると思います。
ではなぜ人は、愛を求めるのでしょうか。
人が人に求めている愛とは何なのでしょうか。
ここでは愛について考えてみたいと思います。
目次(複数ページに分かれた記事もあります)
愛とは何か 人が愛されたいと思う理由とは?
(出典「イラストAC」)
人が愛されたいと思うのは、人の進化の過程にその理由があるのかもしれません。
例えば、卵からかえってすぐに自分で活動する、魚などの生き物の場合には、
親から愛情を受けるわけではありませんし、生まれるとすぐに自分で活動を始めます。
ですのでそうした生き物の場合には、そもそも親から愛情を受けたいという気持ちを持っていないのかもしれません。
またネコ科の生き物など、単独で行動する生き物の場合にも、単独で生き延びていく能力を磨いてきたと考えられますので、
群れの中で受け入れられたい、愛されたいという気持ちはあまりないのかもしれません。
ただどちらも私の推測にすぎません。
本当のことは魚や猫に聞いてみなければ分からないことで、確認することが難しいことにはなりますが、
猫の行動は犬とは違い、マイペースな単独行動が多いですので、
猫には群れへの所属の欲求は、あまりないとは言えるのかもしれません。
ただ子孫を残したいという気持ちから、異性に好かれたいという気持ちはどんな動物でも持っているとは思います。
ただ人間の場合にはどちらとも違い、
一定期間は親から世話をしてもらい、その後に自立しますので、
誰しも親から愛されたいという気持ちを持っているのだと思います。
また人は、サルから進化してきたと言われていますし、
これまでの進化の過程でも群れで生活してきたと考えられます。
その群れの中では、群れで獲物を狩り食料を探し、群れで子育てや家事をする中で、
それぞれが群れの中で役割分担をすることで、群れの存続を図ってきたと想像します。
そんな群れの中で、認められなかったり愛されなかったりすれば、
群れから追い出されて生きづらくなるなど、辛い思いもしてきたはずで、
そのために群れへ所属したいという意欲は、徐々に強くなってきたのかもしれませんし、
群れでの生活を長く続けてきた結果として、人は群れの中で「認められたい」「愛されたい」という気持ちを、
その長い進化の過程で抱くようになったのだと個人的には考えています。
そういう意味で人は誰しも、心の根っこに「愛を求める」気持ちがある動物なのだと私は考えています。
そして人が人に求めている愛は、
「一人の人間として」きちんと扱って欲しい。受け入れて欲しい。認めて欲しい。
そんな気持ちなのかもしれません。
考えると人の行動には、身勝手な行動もあれば、相手のことを考えた行動もあると思いますが、
「一人の人間としてきちんと扱って欲しい」と人が望んでいるものが愛だとすれば、
相手のことを考えない、身勝手な行動は欲望だと言えますし、
相手を自分と同じ一人の人間として、丁寧に扱おうとする行動が「愛」だと言えるのかもしれません。
ですので自分は良かれと思っていたとしても、
相手の気持ちを考えずに、自分の気持ちを押し付けるだけになってしまえば、
それは愛とは言えないと思いますし、
「一人の人間としてきちんと扱って欲しい。」
それが人の望む愛だとすれば、
少なくとも自分のことだけでなく「相手のことを思いやる気持ち」が、
愛の根本には欠かせないと考えられます。
また人と人との関係で言えば「相手の幸せを願う気持ち」は愛と言えると思います。
愛とは何か 慈しみの心とは
(出典「photoAC」)
愛とは慈しみの心と言われることもあります。
愛情は人と人との間だけではなく、動物や物に対しても注がれることがあります。
それは「愛おしいと思う気持ち」であり、
慈しみの心が湧き上がると「温かい気持ち」になることが、その特徴と言えるのかもしれません。
愛とは何か 無性の愛の難しさ
(出典「photoAC」)
また「無償の愛」という言葉があります。
それは一般的には「与えるだけの愛」のことを指していると思いますし、
特に親子の愛で、親に求められる傾向があると思いますが、
人は誰しも心のどこかで愛を求めていますので、
例えば、良かれと思って愛を与えたのに、嫌な態度で返されたり無視されたりしても、
それでも「無償の愛」を貫くことができる人は、私はこの世にはいないと思います。
やっぱり愛を与えたのであれば、少なくとも喜んでくれるなどの見返りがなければ、
やる気がなくなってしまうのが人間の限界のように思いますし、
そうした無償の愛が実践できるとすれば、唯一自然だけなのかもしれません。
例えば太陽や水は、何も見返りを求めてくるわけではありませんが、
太陽は私たちに温かさを与えてくれますし、水は私たちの渇(かわ)きをいやしてくれます。
また自然の恵みは、動物や植物の種類を選ぶわけでもなく、人をえり好みすることもありません。
そうしたことが人間にできるとは、とても思えない自分がいます。
私も自分の身を振り返れば、弱さや小ささを感じることがありますが、
人は誰しも弱く、小さな存在だと思いますし、
見返りがなければ動かないのが、人の本質でもあり限界だと言えるように思います。
その根本には先ほど書きましたが、人は心のどこかで「愛を求める」気持ち、
「一人の人間としてきちんと扱って欲しい」という願いがあるからだと思います。