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差別は無くならない?差別意識の要因と私の中にある差別意識


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差別は良くないと言われていますし、

ほとんどの方は頭ではそう考えていると思いますが、

私の中には差別の気持ちがあると思いますし、

もしかすると誰にでも差別の気持ちはあるのかもしれません。

私も差別の気持ちなんて無いと言いたいところですが、

差別の気持ちがどこから来るのか?

そんなことを考えてみたいと思います。

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差別の気持ちの正体とは?私の中にある差別の気持ち


(出典「photoAC」)

差別は良くないと言われますし、

誰もが生まれる環境や肌の色、才能や見た目を選べるわけではありません。

選べないものでいわれのない差別をする理由は、私もどこにも見当たらないと思います。

ただ私の中には差別の気持ちがあると思ったことがありました。

地方に旅行に行った時のことになりますが、

その地方の人を見下している自分の気持ちに気づいたことがありました。

私自身も地方の出身者なのに、その地方の人を見下していたのは自分の中では驚きで、

頭ではそんなことはないと否定したいところですが、現実に私の心に湧き上がってきた気持ちでしたし、

それは差別意識に他ならないと感じました。

私には差別の気持ちがありますので、

もしかすると他の方にも、そうした差別の気持ちは心のどこかにあるのかもしれませんし、

それがその時の社会情勢によって、社会全体で表に出やすい時はあるのかもしれません。

その差別の気持ちはどこから生まれるものなのか?

そのことについて考えてみたいと思います。

差別の気持ちの正体とは?自然界にある競争の原理


(出典「photoAC」)

まず考えたのは、自然界に生きるものには生存競争の原理があることです。

自然界は弱肉強食で、食うか食われるかの世界で、

私たちを含めて生きとし生けるものは植物を除けば、

弱者の命を奪うことで生きることができるという哀しい定めにあります。

人間社会は文明によって、他の生命との生存競争では優位に立ち、

他の生命との生存競争から逃れることができていますが、

その代わりに人と人とが競争するようになり、

それが人と人との関係でも、弱者に対する攻撃性になっているかもしれません。

ただ単純に食べるだけであれば、同じ人間同士ではなく、他の動物に対する攻撃性のはずですが、

自然界に生きる動物も、メスの奪い合いなどで同じ種の生き物が戦う場合もありますし、

食べ物を得るがゆえに、縄張り争いをすることもあります。

縄張り争いという意味では、昔から土地争いは起こってきましたし、

現在でも会社同士のシェア争いは繰り広げられています。

お金を得るためにはシェア争いは仕方ないと思いますが、

縄張り争いの規模が大きくなっていることは、

文明の力によって食物連鎖の頂点に立ったがゆえの、

人類のジレンマと言えるものかもしれません。

そしてそんな競争を抱える中で、心のどこかで私たちは不安を抱えているのかもしれませんし、

そのことで自分より下の人間がいることを知ることで、安心する心理も働くのかもしれません。

私の場合はそんな気持ちが働いたように思います。

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差別の気持ちの正体とは?人間心理に潜む群集心理


(出典「photoAC」)

また古来から人類は群れで生活してきたと考えられますし、

群れで生活してきたために、人間には群集心理があると思います。

ある群れで生活をしていれば、

先ほど書いたように、他の群れと縄張り争いをすることはあったと思いますし、

自分たちとそれ以外の人たちを区別して認識してきたと思います。

そしてそうした期間は人類の歴史では圧倒的に長い期間に渡ります。

文明がいくら発達していたとしても、文明を築いてからの歴史はごく浅い期間にすぎませんし、

社会の構図や仕組みが様々な変化を遂げ、グローバル化が進んできた中でも、

人間の心はその変化に対応するほどの進化を遂げているわけではないと思います。

昔ながらの気持ちのままに、新しい道具や仕組みを作っていますので、

新しい道具や仕組みに、人の心が追いついていない面もあるのかもしれません。

また私たちはどこかで気の合う人と群れを作りがちですし、

自分たちとそれ以外、という図式で考えてしまいがちですし、

特に肌の色や宗教の違いが、目の前でハッキリと認識できるような場合には、

自分たちとそれ以外という図式による対立は深まりやすいのかもしれません。

また一人ではそれをできないとしても、

他の人がやっていれば自分もやろうと思う心理は働くように思えますし、

それも群集心理の働きの一つだと思います。

私たち人間は、どうしても群集心理に流されてしまう面はあると思います。

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