武士道とは何か。
そう問われたら、日本人が作りだした規範。
個人的な解釈ですが、私はそう思います。
日本の武士道としての書物でいえば、
元佐賀藩の武士、山本常朝(じょうちょう)の「葉隠れ」と、
新渡戸稲造(にとべいなぞう)の「武士道」がありますが、
武士道精神は現代のビジネスシーンでも活用できるものだと思いますので、
ここでは新渡戸稲造の「武士道」を取り上げたいと思います。
またここでは新渡戸稲造の「武士道」に書かれていることを、
私なりに解釈したものが多分に含まれていることを、先にお断りしておきます。
目次(複数ページに分かれた記事もあります)
現代にも通じる武士道精神 儒教の影響が反映された新渡戸稲造の「武士道」
(出典「photoAC」)
「武士道」は、新渡戸稲造が海外の方との談義の中で、
日本では宗教教育が行われていないことに驚かれ、
日本の道徳観を世界に紹介するために、英語で書かれた書物になります。
また新渡戸稲造は武士道としての思想には、仏教や日本の神道、儒教の影響を認めつつ、
教義としては儒教の考えが色濃く反映されたと考えたようで、
そのため義や勇、仁や礼、誠など、儒教の影響を受けていると思われる精神的な要素で構成されています。
また武士道は、武という力を持った人間の選ぶべき道だと考えていたようで、
この書物は海外に紹介した書物のため、
ヨーロッパのノブレスオブリージュ(高貴な者には義務が伴うという考え方)と比較しています。
ではそれぞれの武士道精神の要素を見ていきたいと思います。
義
(出典「photoAC」)
義の心は、義理の義でもあり、正義の義でもあります。
義理人情とよく言われますが、
人間関係の中では、いつもお世話になっているから、お世話になったことがあるから、
だから、その人のために動く。
それが義理だと考えられますし、いつもそうした心掛けがあれば「義理堅い」と言われます。
正義の義は、困っている人や弱い立場の人のために動くことだと個人的には思いますし、
「弱きを助け、強きをくじく。」
これが正義の義の、根っこにはあるはずです。
またそう考えると「義」の心は全般的に「人のために動く」ことだと言えます。
また「正義」だけで考えれば、
そこには誰がどう見ても、筋や道理が通っていなければならないと個人的には思います。
「無理が通れば道理が引っ込む」ということわざがありますが、
筋や道理が通っていない場合には、それは正義ではないとは感じますし、
正義ではない状態は、筋や道理ではなく、力づくがまかり通る状態だとも言えます。
ただ「正義」という言葉は、少し危ない部分もあり「都合」という場合もあるような気がします。
つまり誰かと誰かが、仲が悪くなっていたり対立していれば、
お互いに、お互いの正義や道理があるかもしれませんので、
「正義」という言葉は、あまり安易に振りかざすべき言葉ではないのかもしれませんし、
第三者の目で見ても、筋や道理が通っていることが条件になるはずですし、
少なくとも正義がある状態は、力づくではない状態だと思います。
勇
勇の心は文字通り、勇気のことで、
「義を見てせざるは勇なきなり」と言われますが、そのことに対して新渡戸稲造は、
“「勇気とは正しいことをなすことである。」”
と武士道に書いています。
(引用:いつか読んでみたかった日本の名著シリーズ② 武士道 新渡戸稲造 致知出版社)
現代に生きる私たちは、武士が戦っていた戦場という場面ほど、勇気が試される場面はありませんが、
それでも日常生活では、どちらにしようか、というささいな分岐点はたくさんあると思います。
そんな場面で、正しいことを選択できるか、
そこに勇気が試されているのかもしれません。
またリスクがある場面で、卑怯なことをしたり逃げ隠れしたりせず、
正面から堂々と向き合うことも、勇気だと言えると思います。
ただ生きる辛さから逃(のが)れたいがために死を望むことは、それは勇気とは言えないはずで、
生きることは、時に辛いことがありますし、そんな辛さが長く続くこともありますが、
そんな辛さに向き合うことこそ、本当の勇気だと思います。
そして勇気を持てた状態は、覚悟が定まり、腹が据わった状態だと言えます。
仁
仁の心は、思いやりの心になり、
“仁を持った人間は、常に苦しみ、悩んでいる人間の味方であらねばなりません。”。
と武士道には書かれています。
(引用:いつか読んでみたかった日本の名著シリーズ② 武士道 新渡戸稲造 致知出版社)
自分のことで精一杯になることもあると思いますが、
想像力を働かせて、相手のことを思いやることも時には大切だと思います。
上司が部下をねぎらったり、部下が上司の苦労を考えてみたり、
夫が妻に感謝の気持ちを表したり、妻が夫の苦労をいたわったり。
人間ですので、いつもはできないとしても、
時には、ふとそんな気持ちにお互いがなれたら温かい空気がお互いの間に漂うと思いますし、
そのためには、自分の立場に捉われすぎないことも必要なのかもしれません。
また仁の心は、義の心とも関係しているように思います。