毎日の仕事は、実は地味なことの繰り返しで、
日常生活を漫然と過ごしていると、どこか生きる意味を見い出せなくなることはあるのかもしれませんが、
人の生きる意味や生きがいとは何なのでしょうか?
どうやって探すべきなのでしょうか?
ここでは人の生きる意味や生きがいについて考えたいと思います。
目次(複数ページに分かれた記事もあります)
人が生きる意味、生きがいとは何か
(出典「イラストAC」)
人の生きる意味は、突き詰めて考えると「無い」のではないかと思います。
生まれたから生きたいと思い、生まれてきたから生きるしかない。
人だけではなく生きとし生けるものは、全てそうなのではないかと思います。
自然界に生きる動物は、生き延びることだけでも必死だと思いますが、
人間の場合には、文明があるおかげでどこか余力がある生活ができますし、
ふと時間がある時に、心が満たされないように感じる時間はあるのかもしれません。
また人は人とのつながりの中で生きていますが、
その中で人が生きる意味や生きがいを感じることがあるとすれば、
それは人の役に立つことから生まれると私自身は考えています。
人の役に立つことで、自分が周囲から認められること。
私にも認められたいという気持ちがありますが、
人は誰しも認められたい愛されたいという願望を抱いていると思いますし、
人の役に立つことで、必要とされている、認められていると実感することで、
生きる意味や生きがいを感じられるのだと思います。
それだけ認められたい、愛されたいという気持ちが人間には強いのだと思いますが、
人がそう思う理由について、少し私なりの考えを書いていきます。
人が認められたい、愛されたいと思う理由
自然界に生きる動物は?
(出典「photoAC」)
私は人が愛されたいと思うのは、人の進化の過程にその理由があると考えています。
例えば、卵からかえってすぐに自分で活動する魚などの生き物の場合には、
親から愛情を受けるわけではありませんし、生まれるとすぐに自分で活動を始めます。
ですので、そうした生き物の場合には、そもそも親から愛情を受けたいという気持ちを持っていないのかもしれません。
またネコ科の生き物など、単独で行動する生き物の場合にも、単独で生き抜く能力を磨いてきたと考えられますので、
群れの中で受け入れられたい愛されたいという気持ちは、あまりないのかもしれません。
ただどちらも私の推測にすぎません。
本当のことは魚や猫に聞いてみなければ分からないことで、真相は確認できないことだとは思いますが、
猫は人と触れ合っていても、あまり群れへの所属の欲求というものは少ないように感じます。
ただどちらも子孫を残したいという気持ちから、異性に好かれたいという気持ちは持っているとは思います。
人間の場合には?
(出典「photoAC」)
ですが人間の場合にはどちらとも違い、一定期間は親から愛されてその後に自立しますので、
誰しも親から愛されたいという気持ちを持っているのだと思います。
また人はサルから進化してきたと言われていますので、
これまでの進化の過程でも群れで生活してきたと考えられます。
群れで獲物を狩り食料を探し、群れで子育てや家事をする中で、
それぞれが群れの中で役割分担をすることで、群れの存続を図ってきたと想像します。
そんな群れの中で、認められなかったり愛されなかったりすれば、
群れから追い出されて生きづらくなるなど辛い思いもしてきたはずで、
そのために群れへ所属したいという意欲は、徐々に強くなってきたのかもしれませんし、
群れでの生活を長く続けてきた結果として、
人は群れの中で認められたい愛されたいという気持ちを、その長い進化の過程で抱(いだ)くようになったのだと思います。
その群れの中で認められるためには何もしなくて良いはずはなく、
群れで獲物を狩り食料を作り、子育てをして家事をする中で、
それぞれの役割分担があり、その役割の中で周りの人の役に立つことが重要だったはずで、
ですので話は最初に戻りますが、
人の生きる意味や生きがいは、人の役に立つことから生まれると私は考えています。
ただ現在では仕事の分業化が進み、例えば自分がやっている仕事が誰の役に立っているのか、
それを感じにくい世の中になっているようには思います。
働いていてもお客さんと接することがない場合には感謝される機会もなく、
職場でもよほど優れた業績を上げなければ、
自分が認められている、評価されているという実感を得ることは難しいのかもしれません。