愛とは何か?人が愛を求める理由は?無性の愛は可能?恋との違いは?

愛とは何か 不変の愛について


(出典「photoAC」)

また「不変の愛」という言葉があります。

今と変わらぬ愛が続くことを指していると思いますが、

人の心は毎日のように同じことを繰り返していれば、どうしても「慣れ」という気持ちが出てきますし、

出会った時の新鮮な気持ちを、いつまでも持ち続けることは難しいことのように思います。

また毎日の生活の中で、人の心には浮き沈みがあり、刻一刻と変化する中で、

沈んだ気持ちを自分の力で浮き上がらせること、

それだけでも難しく、心はコントロールできないもののように私自身は感じます。

人の心が不変ではなく、変わるものである以上は、

時間が経っても新鮮な気持ちを持ち続けることや、

気分が沈んでいても、仕事などで気になることを抱えていても、

それでもいつも変わらぬ愛のある態度や行動を貫くことは、困難なことに違いありません。

男女の関係の中で相手に対して、

他の人に気持ちを動かして欲しくないという意味での不変の愛は、誰もが望むものだとは思いますが、

それ以外の男女関係を含めた人と人との関係の中で、

いつも変わらぬ不変の愛を、相手に一方的に求めることは、

自分にとって都合が良いことを、相手に望んでいるだけなのかもしれません。

少なくとも相手はモノではなく「同じ一人の人間」で、

相手を「一人の人間としてきちんと扱う」ことが愛だとすれば、

相手も限界のある、一人の人間であることは理解すべきなのかもしれません。

ただ先ほど書いたような形で、男女の仲で不変の愛を望んでいるのは誰でも同じことだと思います。

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愛とは何か?親の愛とは?


(出典「photoAC」)

親子の愛で考えてみますと、

生まれてすぐの頃や小さい頃には、色んな世話をする必要もあれば、

子供本来の甘え(個人的にはスキンシップや注目されたいという気持ちだと考えていますが)を満たしてあげる必要があると思いますが、

子供は徐々に成長するにつれて、自立心が芽生えてきて、自分でやりたいと思うこと、やれることが増えてきます。

それに応じて親のやるべきことは変わってくるはずで、

子供が立とうとしているのに必要以上に手助けして、子供がなかなか立てないようにする親はいないと思いますが、

子供の幸せを願えばこそ、自分のことは自分でやらせて様々な能力を身につけさせることも大切だと思いますし、

それで子供が困ったり泣いたりしてきた時が、親の出番だと思います。

時には子供の将来のことを思えばこそ、厳しさが求められるのも親の役目で、

子供が小さな頃は、親がいないとできないこともありますのでともかくとしても、

特に子供が大きくなって社会に出ることが近づいてくれば、

親が経験したことを伝えていくことや、子供を独り立ちさせるために時には厳しい態度で突き放して、

自分でやらなければいけないことを自覚させることも、必要なことのように思います。

また成長していけば恋をして、いつか親元を離れていくことになるのが親子の関係で、

子供が離れていくのを、耐えて見守ることも親の愛と言えます。

そう考えると子供の成長に合わせて、

親も変化していくことが、親の愛と言えるのかもしれません。

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愛とは何か?男女の愛と恋との違いとは?


(出典「photoAC」)

男女の愛の形には、様々な形があるのだと思いますが、

相手のことを好きではあっても、相手と楽しい時間を過ごしたいというだけであれば、

それは「恋」に過ぎないのかもしれません。

二人の間で問題が起こった時にこそ、二人の愛は試されるのかもしれません。

ただそれは一方だけが頑張っても上手くいかないもので、お互いがお互いに誠実に真摯に向き合うことも必要で、

二人の間のことは他の誰かが関与できるものではありませんし、

また二人の愛はどちらかだけが持っているものでも、どちらかが与えるだけのものでもないと思います。

それは一方が想いを寄せていても、相手にその気がない場合には恋は実らないことと同じことで、

男女間の愛は一人で育むことができるものではなく、二人でお互いに育むものだと思います。

そういえば新渡戸稲造の武士道には、

義、勇、仁、礼、誠という5つの精神性が表現されていますが、

それは愛の形を表現したものなのかもしれません。

相手のために動こうとする気持ちは「義」の心。

相手に正面から誠実に向き合おうとする気持ちが「勇」や「誠」の心。

相手のことを思いやる気持ちが「仁」の心。

相手がやってくれることを当たり前だと思わずに、

「ありがとう」の言葉を欠かさない気持ちが「礼」の心。

お互いがお互いに対して、できる限りこうした気持ちを持ち続けることが愛と言えるのかもしれません。

終わりに

最初に書いたことになりますが、

人は誰でも「一人の人間としてきちんと扱われたい」と願っているのだとすれば、

そうした相手の気持ちを汲み取って、相手を一人の人間としてきちんと扱おうとした行為であれば、

それは全て愛と言えるのかもしれません。

ただ一人の人間としてきちんと扱われるためには、何もしなくて良いわけではなく、

人の役に立てるような人間になることも欠かせないように思いますし、

その人の能力に応じて、人の役に立つために努力することや能力を磨くことは、誰でも必要なことのように思います。

親の務めがあるとすれば、人の役に立つような人間になるように、子供を育てることなのかもしれません。

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