目次(複数ページに分かれた記事もあります)
自然が生命に与えた厳しい掟
ここでは自然の厳しい掟を考えていきたいと思います。
自然にはこれから書くような厳しい掟があると私自身は考えていますし、
私たちは自然が与えてくれたものの範囲内で、生きていかなければならないのだと考えています。
ですので私たちは自然の与えた厳しい掟から、逃れることはできないと思いますし、
一時的に楽しいことや、楽なことはあったとしても、
厳しい自然の掟があるがゆえに、人は生きることの苦しみから、
どこまでも逃れられない存在だと考えています。
だからといって、人生には苦しみしかないと言うつもりは全くありませんし、
生きていれば楽しいこともありますが、楽しいことだけ、楽なことだけを求めようとしても、
厳しい自然の掟があるからこそ、それは無理なことではないかと考えています。
苦しみから逃れようとしても逃れられないのだとすれば、
正面から苦しみと向き合って乗り越える気構えを持った方が、
心は覚悟が決まり、苦しみを乗り越えやすくなるのではないかと考えています。
命の循環の掟
(出典「photoAC」)
私たちは生きるために、食べなければいけません。
食べるということは命を奪うことで、
植物など、食物連鎖の最下層の生命以外の生き物は、他の命を奪うことでその命をつなぐことができます。
食物連鎖の頂点にいる肉食動物の寿命が尽きれば、
その肉体は他の動物や虫、微生物などに食べられて土に還り、それがまた植物を育みます。
それは自然が地上の生命に与えた「命の循環の掟」と言えるように思います。
ただ私たちは食べなければ生きていけませんし、
生きたいと思うのも、自然が生命に与えた生存本能のためですので、
食べることそのこと自体に、必要以上に罪悪感を感じる必要はないと思いますし、
私自身は食べることを楽しんでいます。
ただ私たちは肉を食べる時にも、その命を奪うという過程を他の人が行ってくれているために、
どこか命を奪っているという実感は、薄れてしまっているように思います。
ですが実際には食べるということは、命を奪っている、いただいていることと同じであることは、
頭に入れておくべきなのかもしれませんし、
命を奪っているのなら、食べ残すことはもったいないことなのかもしれません。
また「いただきます」という食べる前の挨拶は「命をいただきます」という意味と、
作ってくれた人に対する感謝として、口にすべき挨拶のように思います。
いつか訪れる死の宿命
(出典「photoAC」)
厳しい命の循環の掟があるからなのか、
生きるために私たちは他の命を奪っているからなのか、
私たちはいつか死を迎えるという、厳しい自然の宿命があります。
それはどんなに地位やお金や名誉がある人であっても、
誰も避けることのできない厳しい自然の宿命です。
→死とは何か 人は死ぬとどこへ行くのか 死ぬ理由や死後の世界とは
生存競争の原理
(出典「photoAC」)
生命は多様な進化を遂げて、地球は多種多様な生命に満ちています。
考えていくと、いつしか生命が生存本能を宿した時から、
生き延びたいという本能があるために、様々な環境に適応できるように、
どんな環境になっても何かの命が生き延びることができるように、
生命は多様な進化を遂げてきたのかもしれません。
地球上は環境が大きく変わってきたとされていて、氷河期もあれば、
地球上が全て氷で覆われたという、全球凍結という時代もあったと言われています。
そしていつしか食う者と食われる者、という図式が出来上がってきます。
それは「命の循環の掟」でもあり、逃れられない「死の宿命」でもありますが、
食う者と食われる者という図式の中で、生命は生存競争を激化させたことで、
多様な生命を生み出す原動力になったのかもしれません。
そんな生命の「生存競争の原理」は、
文明の力によって外敵があまりいなくなった人類も、逃れることはできないのかもしれません。
蓄えることを知り、そのことで格差が生まれ、またお金を生みだしたことで富を奪い合う。
また時に人は戦争を起こします。
少なくとも私たちは、戦争はやめる方向に向かうべきだと思いますが、
それでもどうしても経済という競争の枠組みの中で、私たちが競争を余儀なくされることは、
自然の「生存競争の原理」から逃れられないことを、示しているようにも思えます。
そのために私たちは、どこまで文明を発達させたとしても、誰かとの競争を余儀なくされ、
生きる苦しみから逃れることはできないのではないかと考えています。
ただ生きる苦しみには意味があると思いますし、
苦しみがあるからこそ、喜びが増す側面はあると思われます。
また競争するとしても、他人の足を引っ張るという競争ではなく、また他者を排除するのではなく、
自然界の生命が多様性で満ちあふれているように、
私たちも多様性を認め合いながら、その中から優れたものを作り出すための、
正当な競争をする方向に、私たちは進む必要があると考えています。
優れたものを生み出すのは、何もモノだけではなく、
思想や人の世の仕組みなど、人の社会をより良くするものはありますし、
ピラミッドの構造を考えれば、石が多ければそれだけ頂きは高くなりますが、
様々な分野に参加する人が多ければ、その頂きも高くなります。
それは優れた人材や才能が生み出され、それだけレベルの高いものが生み出されることを意味するもので、
それが社会をより良い方向に発展させるカギになるように思えます。