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宗教とは何か 宗教の過ち 宗教を利用する人による支配構造
(出典「photoAC」)
ただ世界的に宗教は生まれましたが、その歴史をひも解くと、一部の人たちが宗教を利用して人を支配する構造が生まれたことは否定できないように思えます。
本来の宗教家であれば精神世界を極めるためには、現世の利益から離れようとするはずだとは思えますが、
人が集まり組織になれば上下関係が必要になりますし、その上下関係を利用して富や権力を持とうとする人に、いつしか宗教が利用され始めたことがあったように思えます。
そのために宗教は腐敗したこともありますし、人を支配したいがために新たな宗教が生み出されることもあったように思えますし、宗教による争いが起こってきたと考えられます。
宗教同士による競争から教義が練り上げられていく場合はともかく、実際の争いにまで発展することは宗教の本来のあり方から離れているように思えます。
本来、宗教を始めた偉大な人物がそうしたことを望んでいたとは思えませんが、ヨーロッパではそうした宗教の腐敗を正すため宗教改革が行われたこともあれば、
宗教による争いが起こった反省から政治と宗教を分離する「政教分離」が推し進められてきた背景があります。
また宗教には本来の役割があると考えられますし、神=自然はお金を要求することもありませんが、
宗教や神が一部の人たちに利用され、宗教が人を支配し人を縛るものに変容してしまうならば、
人が生きやすくなるという意味では、「宗教からの自由」「支配からの自由」が望ましい方向性と言えるように思えます。
終わりに
私自身は信仰心が深いというわけではなく、禅の本を読めば意味が分かるなと感じることはありますが、
私自身の感覚は「自然崇拝」に近い気がしていて、自然を神だと考えるなら個人的には納得できる気持ちがあります。
→自然とは何か 自然の偉大さや怖さ、自然と人工の違い、自然の厳しい掟
そういう立場で宗教に対する考えを書いてきましたが、宗教を信仰する多くの人たちがいて、その宗教を信仰するがゆえに心穏やかに過ごせることがあるのなら、
全員ではないとしても宗教は人にとって必要なもののように思えます。
またその宗教を信仰する人が多くなれば、そうした人たちが集まるための一定程度の建物などはやはり必要で、現在日本では多くの神社仏閣を観光できるようになっていますし、
(古くは一般の人たちが出入りできる場所ではなかったようです。)
時代を経るとそうした建物に歴史を感じることもあり、私自身そうした神社仏閣を巡ることは好きでもあります。
ただ宗教も人が扱うものですので誤った方向に向かうこともあり、宗教家も宗教を信仰する方もその点には注意が必要のようには思います。