死とは何か?人は死ぬとどこへ行くのか?死ぬ理由や死後の世界とは?

人類が不老不死になった場合

例えば、もしも人類が不老不死になったと仮定して考えてみます。

人類の子孫もずっと不老不死になれば、それは人類にとっては望ましいことかもしれません。

ただそうすると人類は、永遠に食べ続けることになりますが、

食べるということは命を奪うことになりますので、

人類が永遠に食べ続けていき子供や孫が増えていけば、

食べられるものをいつか食べつくしてしまい、食べられるものが無くなることが考えられます。

例えば人類が食べられない、毒のあるような生き物まで食べられるように人類の体が進化したとしても、

増え続ける人類はどこかで食べられるものを食べつくしてしまうことは明らかで、

そこから先は人類は食べることができなくなり、生きることはできなくなります。

限りある地球


(出典「photoAC」)

また私たちの住む地球という星は人間にとって大きな存在ですが限りはありますし、

そして命も無限に存在するわけではありません。

そんな限りがある世界の中で食べることで生きることができる以上は、

どこかで生きられなくなるという限界があることが私たちの遺伝子には最初から組み込まれているのか、

細胞は無制限に増殖することができないようで、

それが私たちの寿命となっているのだと考えられます。

言い換えると私たちは食べるために、

他の命を奪うために、

私たちも死を迎える宿命が与えられているのかもしれません。

ただ私たちには生きたいと願う生存本能がありますし、生きるためには食べなければいけませんので、

食べることに対して必要以上に罪悪感を感じる必要はないと思います。

また食物連鎖のピラミッドの構造を考えれば、

食べないことで食物連鎖の下にいる生命が増えすぎても、

その生命にとってエサが不足するなどの問題が生じてくることも考えられます。

スポンサードリンク

死とは何か 死の恐怖とは


(出典「イラストAC」)

また私自身、死を想像すると怖いと感じますが、

私たちは生きたいと願う生存本能に突き動かされていますので、

死を怖いと思うことは、ごく自然なことだと言えます。

また私の場合には死ぬのが怖いというよりも、

死を迎えるにあたって、死の直前までにどれだけ苦しまなければならないのか。

それが分からないことに怖さを感じている気がします。

眠るように死ぬことができれば良いのですが、

やたらに痛いとか、やたらに怖いとか、

死ぬまでに何が起こるのか、どれだけの苦しみや痛みが待っているのか。

それが分からないことに対して怖いと感じている気がします。

また死を迎えたら意識すら無くなることになるはずで、

どこかで最後は眠るように意識がなくなる瞬間があって、

そこで意識が途絶えるのではないかと考えています。

終わりに

私自身は何か特定の宗教を信じているわけではなく、

あくまで私の考えをここに書かせていただきました。

死ぬことが宿命である以上は、私たちはできる限り命を輝かせる必要があるとも考えています。

人生を楽しむと同時に、人の役に立つことで生きる意味を感じ、

また限りある人生の中では、できることとできないことがあることを理解し、

後悔を抱えながら死んでいく覚悟を決め、

そして身近な人を大切にしながら日々を過ごして、たくさんの思い出を作って人生を充実させることで、

自分が生きてきたこと、やってきたことに納得感が生まれれば、死を受け入れる覚悟は定まってくるのかもしれません。

少なくとも死を考えることは、生き方を考える、見つめ直すことになると思いますので、

この記事を参考にしていただいた上で、死について考えてみていただければと思います。

スポンサードリンク

良かったらこちらを

コメント

  1. 平岡篤拡 より:

    このブログを見て思ったことは、死はとてもぬずかしいなと思いました
    やっぱ人それぞれ考え方は違うからそうゆうところで死は難しいなと思った