命とは何か?命に課された厳しい宿命や命の本質についての考察

命とは何か 命は尊いという価値観


(出典「photoAC」)

また命は尊いとよく言われます。

誰しも生きたいと思いますし、誰もが身近な人を亡くす哀しみは避けたいとも思います。

そうした中から「命は尊い」と言われてきたのだと思われますが、

ただそこで言われる命は、人類や人類が価値を認めた命のことだけを指していることが多いように思えます。

私自身はその点には疑問があり、命が尊いというなら人類以外の全ての生き物の命も尊いはずで、

特に食物連鎖の最下層の生命は、その他の生命を支えるという根源をなす重要な役割を担っています。

また生存本能は他の生命にも存在しますし、それが私たちが生きたいと願う根源ならば、他の生き物たちも生きたいと願っているはずですし家族を持つ生き物もいるはずです。

ただ私たちは生きるためには食べなければならない。

それは誰にも覆(くつがえ)すことのできない厳然たる事実で、そのために私たちは生きるために他の生き物の命を奪って生きています。

生きるためには食べなければいけませんので、そのことに必要以上に罪悪感を感じる必要はないように思いますし、私自身も食べることを楽しんでいる一人で、

また私たちが食べなければ食物連鎖の下の層の生き物たちが増えすぎてしまい、その事が彼らの食べ物を少なくしてしまうなど問題もあると考えられます。

ただ少なくとも命をいただいているおかげで生きていることは認識する必要があるように思えますし、

私たちは他の生き物がいなければ生きていけない存在で、

他の生き物たちに感謝し、また大切にしなければならないように思えます。

そういう意味では命が尊いというのであれば、人類だけでなく他の命も尊いと思いますが、

ただ私たちは生きるためにそんな尊い命を奪っています。

命が尊いという価値観はそんなジレンマを抱えているようにも思えます。

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命は儚(はかな)いという価値観


(出典「photoAC」)

また命は儚(はかな)いとも言われます。

現在の日本では長寿社会を実現できていますが、昔は子供の死亡率も高く平均寿命は50歳と言われていました。

周りの人が亡くなることが日常的だった中で、去りゆく命の儚さを多くの人たちは感じていたのかもしれません。

また日本など先進国では長寿社会を実現できていますが、開発途上国ではそうではありませんし、

そうした国の人たちは命の儚さを今でも実感していることだと思います。

そんな昔の日本や開発途上国の人たちの暮らしで培(つちか)われた感覚は自然と共に暮らす感覚でもあり、

そんな暮らしから見えてくる感覚が命の本質を表しているような、そんな気がします。

また私たちはいつか死を迎えることが宿命づけられていますが、

だからこそ死を迎えるまでに、そして身近な人との永遠の別れが訪れるまでに、儚い人生をどう生きるべきか?

そのことを重視すべきなのかもしれません。

人生を楽しむと同時に人の役に立つことで生きる意味を実感し、

限りある人生の中で、できることとできないことがあることを理解し、

身近な人を大切にして、たくさんの思い出を作ることが大切なことのように思えます。

終わりに


(出典「photoAC」)

あくまで個人的な意見ですが、命は尊いという価値観よりも、命は儚いという価値観が命の本質を表しているように思えます。

自然と共に暮らす人たち、そうした時代の人たちは私たちほどの文明は持っていなくても、

肌身で感じるその感覚が、そしてその中から湧き出た言葉が物事の本質を表していることもあるように思えます。

命に関することは重たいテーマになりますが、いつか死を迎える運命の中で、どう生きるのかが問われているのかもしれません。

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